詳細な検討
- 前提のひとつが主権的な主体に対する批判であるのにも関わらず、匿名の革命化しつつある主体によって組みたてられている。だが、一方で知識人は名指しされ、差異づけされている。
- ドゥルーズは労働の国際的分業を完全に無視している。(p.5)
- 労働者たちの闘争への結びつきは、いとも単純に、欲望のうちに位置づけられている。
- このような欲望と主体との接続が問題に値しないものとして扱われるとき、力のある主体=イデオロギー的主体にほとんど等しいものになるのではないか?
- この準主体的な母胎は、新しい主体の誕生を告げるものとなる
- また、被抑圧者達を、なんの疑問もなしに主体として価値づけてしまう
- ドゥルーズは、representer「代弁、代表」と「再現、表象」という二つの意味を混合している
- 問題はこの差異が同一的な単語によって示されていることにある
マルクスの「階級」の言明
- ある階級についての定義は他のすべての階級からの切断と差異によってあたえられる。ここには「階級的本能」は存在していない。
- 経済的な行為ないし利害というものは、体系的かつ異種混合的であるがゆえに、非人格的である。
- マルクスは、欲望と利害が一致するような主体を目指しておらず、むしろ脱臼されるようなモデルを目指している
- 代表者と担い手ということの違い
- 必然的に脱臼してしまった歴史の機械が茶道するのは、「利害の同一性」が「共同感情も、全国的結合も、政治的組織も生み出すことができないでいる」ためだからだ。
- マルクスは、否定的なものの作用、具体的な脱物神かの必要性を断固として力説していたにもかかわらず、このことは最強の敵である「歴史的伝統」によって普通の人の手からもぎとられ、空中分解をしてしまう。
- 「交通」=「交易」は、余剰価値の生産に導く交換の場所を占有している。そして、階級的な行為へと共同感情が発展すべきであるのは、この「交通」の領域内においてなのである。従って、異種混合的なあり方をしているのである。
- 非家族的、人為的、集合的な固有名の不在は、「歴史的伝統」が提供しうる唯一の固有名、乳の名によって埋められる。
- そして父の方こそが、実の父の詮索を禁止している
- マルクスによれば、資本主義のもとでは、必要労働ならびに余剰価値のなかで生産された価値は、対象化された労働の表象や記号として算定される反対に、労働の表象としての、価値の抽出、領域、実現としての搾取の理論が欠如している場合には、資本主義的搾取は、支配の一様態(権力そのものの力学)と見なされることにならざるをえない。
『近代とはいかなる時代か―モダニティの帰結―』6章
・近代は西洋的企てか?(P.215-218)
・モダニティーはどの程度まで西欧に特有なものであろうか?
↓
制度郡の面からみれば《国民国家》と《体系的な資本主義生産》という二つの個別の複合組織体が、モダニティの発達にとってとりわけ重要であった。
モダニティのもたらした重要な帰結=グローバル化
グローバル化=一体化していくと共にバラバラに分裂させていく
つまり、グローバル化によって私たちは世界規模の相互依存関係になっていった。
・この観点から見た場合(グローバル化)モダニティは西欧に特有なものであるのか?
モダニティは西欧に特有のものではなく、非西欧的環境に由来する概念や戦略を必要としている。何故なら、モダニティの徹底化もグローバル化も完結したような状態ではなく、世界の多様性を考えれば、たとえば第3世界のような不平等の影響をうけざるおえない。すなわちモダニティを「超克しようとする」運動である。
モダニティの特性=ダイナミックな特性に不可欠な知識の再帰性によって普遍化していく。
・この観点から見た場合(知識の再帰性による普遍化)モダニティは西洋に特有なものであるのか?
条件付でそうであるといえる。モダニティの示す再帰性に本来内在している、伝統からの徹底的な転換は、たんに先行する時代との断絶だけでなく他文化との断絶をももたらしている。
結論的所見
われわれは、とりわけ先進工業社会においてそうであるが、ある程度まで世界全体においてハイ・モダニティの時代に突入している。
モダニティは本質的にグローバル化していくものである。
グローバル化は、ローカルな極とグローバルの極の両端で人びとを変動の複雑な弁証法の構成要素として、規模の大きなシステムに結び付けていく。
モダニティは本来的に未来を志向しているため、「未来像」は、反事実的モデルとして位置づけられている。
『近代とはいかなる時代か―モダニティの帰結―』5章
Ⅴ ジャガーノートに乗って
1. ジャガーノートに乗って(P.188〜191)
※ジャガーノートとは、超大型長距離トラックのことで、ギデンズは、モダニティ の比喩として、使っている。人類が団結してある程度まで、乗りこなすことはできるが、同時に突然操縦不可能になる恐れがある車(モダニティ)のこと。
・問題提起・・・何故、人類の理性は世界を予測・統率できないのか(ジャガーノートをうまく操縦できないのか)
1.《意図しなかった帰結》・・・システムの複雑さ
2.《社会的知識の再帰性》・《循環性》・・・社会的世界に新たな知識が投入されるため、決して安定不変の環境を作れない
3.《権力の偏在》・・・世界は、権力の不平等によって、根底から分裂している
4.《価値観》・・・経験的知識の進展が、価値態度間での、意思決定を許さない。
2. ユートピア的現実主義(P.192〜197)
・ 《ユートピア的現実主義》モデルの創造の必要性(ユートピア的理念と現実主義とのバランスを保つこと)
・ 批判理論のとるべき形(徹底的な社会参加)
ローカルなことがらの政治化 ―----------------------- グローバルなことがらの政治化
3. 未来への方向づけ―社会運動の役割(P.197〜202)
・社会参加が近代において、重要な意味を担うため、社会運動は、未来の潜在的変容可
能性の指標として、重要である。
1. 労働運動・・・資本主義・工業主義の発達に伴う
2. 言論の自由や民主化を求める運動・・・近代国家の監視活動とともに、生じる
3. 平和運動・・・軍事力・警察力の抑制
4. エコロジー運動・・・工業の発達とともに生じた
・ 社会運動は、未来を実現させるための媒介手段である。しかし、ユートピア的現実主義は、権力の行使を有害とは、認めず、現実主義の中心的要素と考える。
4. ポスト・モダニティ(P.202〜214)
・ ポストモダンの秩序の輪郭(地球規模で、捉えていく必要がある)
↓
・ポスト希少性システム(全地球規模での一元化・ユートピア的)
1. 資本主義における不平等を是正し(主要な生活財の不足なし)、市場は、剥奪状
態の維持ではなく、情報伝達装置として機能する。
2.国民国家の位置づけの変化(上部・下部の生成)と、一元化された政治秩序(国際協調など)
2. 戦争という手段が、重要性を失うことはないが、戦争のない世界を描くことは、 現実性を欠かない
3. 創出環境として、地球環境の介護を目的。EX.『ガイア仮説』
・このような想定を明らかには、行うことは、できないが、現実のものとなる可能性もある
・コメント
・『モダニティ』という怪物を批判、分析するにあたって、本章では、ユートピア的現実主義が重要になる。『モダニティ』をただ、批判するだけでなく、反ユートピア的認識に立ちながら、両者のバランスを取ろうとするのが、ギデンズの姿勢である
『近代とはいかなる時代か―モダニティの帰結―』4章
・抽象的システムと親密な関係性の変容(P.140〜P.142)
『抽象化システムは、前近代的秩序が欠いていた多くの安心感を日々の生活にもたらしてきた。(p.140)』
ex. ロンドンで飛行機にのって、10時間もすればロサンゼルスに到着するが、乗客は場合によればロサンゼルスの地理位置を漠然と知っているだけかもしれない。3、4世紀前は、冒険家であっても、困難にめげず、航海の遂行に必要な技能を身につける必要があった。
↓
近代以前は、日常的な事柄全てを知りえなければ生活できなかったが(あるいは生活しづらかったが)近代以降は、抽象的システムを信頼することによって存在論的安心感を生じさせることになった。
この論点の3つの定理
1.モダニティがグローバル化していく傾向と、日常生活の場での、私のいう《親密な関係性の変容》との間には〈弁証法的ではあるが〉直接的な結びつきが見られるということ
2.親密な関係性の変容は、信頼メカニズムの確立という観点から分析が可能であること
3.対人的信頼関係は、こうした親密な関係性が変容していくなかで、自我の形成が再帰的、自己自覚達成課題となっていく状況と密接に結びついていること
・信頼と対人関係(P.142〜P.149)
『近代以前の状況では、基本的信頼は、共同体や親族関係、友人関係における人格化された信頼関係のなかに組み込まれていた。こうした社会的な結びつきはいずれも情緒面で親密な関係性をともないうるとはいえ、親密な関係性は人格に対する信頼を維持するための条件ではない。』
↓
インフォーマルな、あるいはインフォーマル化した信義則や道徳上の通念が、信頼感の枠組みを(潜在的なもので、必ずしも現実のものではないが)提供している。
・信頼と人格的アイデンティティ(P.149〜P.155) 抽象的システムの発達にともない、日常生活の組織と形態が、広範囲に及ぶ社会変動と連係して造り直されていく点にある。抽象的システムが組成していく型にはまった行いは、実質のない、道徳性とは無関係な特質をしめしている。
Ex.たとえば、西洋の日常的な飲食物であるコーヒーはヨーロッパの西欧帝国主義のたどってきた歴史が丸ごと入っているし、ウクライナでの原子炉事故は、遠く離れた私たちの生活にも影響を及ぼす
近代的な性愛関係
前近代→近代への性愛関係の移行の要素
・ロマンティックラブという心的態度(エートス)
・ローレンス・ストーンのいう「情緒的個人主義」
ロマンティックラブの典型をストーンは次のように言う
『自分が全ての面で一体化できる人間はこの世に一人しか居ない。という観念である〜以下略』
↓
性愛関係は、段階的に進展する相互発見を必然的にともなうが、そうした相互発見の進展では愛情を抱いた人間の側の自己実現の過程は、愛する相手との親密な関係性の増大とおなじくらい重要な経験になっていく。したがって、人格的信頼は、自己探究の過程をとおして確立していかなければならない。自己自身の発見は、モダニティの有する再帰性と直接結びついた達成課題となっていく。
(恋愛を通した自己アンデンティティの追求)
『外部世界は、たんにこの過程(一般の人びとによる専門家知識の受容過程)に入り込んでいるだけではない。それは、近代以前の時代に誰もがおそらく接してきたものに比べ、本質的にはるかに規模が大きく広範囲に及ぶ世界となっている』
↓
世界中の宗教や宗派、精神療法や精神医学といったものを私たちは取り込んでいる!よって、外部世界に対する関心を絶つことというラッシュの見解はいささか間違いである。
以上、親密な関係性の変容の要約
1.モダニティの《グローバル化傾向》と、日常生活における《ローカル化した出来事》との本来的に不可分な関係―「外在的」なものと「内在的」なものとの複雑な弁証法的結びつき。
2.モダニティのもつ再帰性の根本的要素である、《再帰的達成課題》としての自己の構築。つまり、人は、自分のアイデンティティを、抽象的システムが提供する方法と選択肢のなかから見つけ出さなければならない。
3.《基本的信頼》にもとづく自己実現を求める動因《基本的信頼》は、人格化された関係状況のなかで、相手に自分の「心を開くこと」によってのみ確立できる。
4.《相互の自己開示》に導かれた、「関係性」としての人格的および性愛的絆の形成。
5.《自己達成にたいする関心》。自己達成にたいする関心は、個人ではほとんど統制できない外面的な脅威を与える世界にたいする自己愛的防衛だけでなく、ある面で、グローバル化が日常生活に影響を及ぼしている、そうした状況の《積極的な専有利用》でもある。
・近代世界のリスクと危険(P.155〜P.163)
ラッシュのいうような「脅迫的な様相」をどのように分析したらよいのか。
↓それには
モダニティに特徴的なリスクの輪郭について詳細に考察していくことが必要である。
↓モダニティの示すリスクの輪郭
1.《激しさを増した》という意味での《リスクのグローバル化》。たとえば、核戦争は人類の生存を脅かしかねないということ。
2.地球上の全ての人びと、あるいは少なくとも相当数の人びとに影響を及ぼす《偶発的事件の数の増加》という意味での《リスクのグローバル化》。たとえば、地球規模の分業体制に生じている変化
3.《創出環境》、つまり、《社会化された自然環境》に由来するリスク。人間の取得した知識を物質的環境に注入すること
4.多数の人びとのライフ・チャンスに影響を及ぼす《制度化されたリスク環境》の発達。たとえば、投資市場。
5.《リスク》の《リスクとしての認知》。宗教や呪術的知識は、リスクに対する「認識のずれ」を「確信性」に転換させることができない。
6.《広く流布したリスク認知》。われわれがともに直面していく危険性の多くは、一般の人びとにも広く認識されていること。
7.《専門家知識のもつ限界の認知》。いずれの専門家しすてむも、専門家の示す通則を採用した場合の帰結について完全に熟知しているわけではない。
・リスクと存在論的安心(P.163〜P.167) 一連のリスクは、一般の人びとが専門家システムにたいしていだく信頼や、存在論的安心感にどのような影響を及ぼしていくのか?
『われわれは、途方もない脅威となり、しかもなお一人ひとりの統制が直接及ばない危険性を、どのようにして絶えず心にとどめておくことができるのであろうか。そんなことはほとんど誰もできないと言うのが答えである』
何故なら…
・日々の生活のもっと身近な実際的な用務を続けていく必要がある
・世俗的な環境では、確率は低いが重大な帰結をもたらすリスクがたわいもない迷信が培ってきた見地というより、前近代的な見地に近い《運命の女神》という意識を、再び新たに生み出す傾向にある。
・適応反応(P.167〜P.171)
4つの、適応反応
1.実利的受容
2.一貫したオプティミズム
3.冷笑的ペシミズム
4.徹底的な社会参加
・モダニティの現象学(P.171〜P.179)
近代の世界に生きることの実感について社会学では2つのイメージが支配してきた。
1.ウェーバーの官僚的合理性という「鋼鉄のように冷淡な」檻というイメージ
2.マルクスにとってのモダニティ、ハーバーマスにとって「未完のプロジェクト」である。
が!ギデンズはこの2つの視点を否定する。こうしたイメージに代えて、ジャガーノートという超大型長距離トラックというイメージをギデンズは提示する。
『ジャガーノートに乗ることは、必ずしもまったく不快なあるいは、おこない甲斐のない経験ではない。多くの場合、気分を爽快にし、前途にたいする明るい希望にあふれている。しかしモダニティ制度が存続する限り、われわれは、この旅のたどる道筋もペースもともに決して完全には統制できないであろう』
《転移と再埋め込み》―疎遠さと親密さとの交錯
《親密な関係性と非人格性》―人格的信頼と非人格的な結びつきとの交錯
《専門家知識と再専有》―抽象的システム人びとが日々得ていく知識との交錯
《私生活中心主義と社会参加》―実利的受容と政治的積極行動主義との交錯
・日常生活における脱熟練化と再熟練化(P.179〜P.185)
専門家知識は、親密な関係性の重要な要素を形づくっている。しかし、このことは抽象的システムが既存の「生活世界」を「植民地化」し、個々人の意思決定を専門技術的知識に従属させることを意味するのではない。
・たとえ、近代制度が根付いていても、基底にあるものは全く以前のものと変わらない。
・一般の行為者が、抽象的システムとの日常的な取引の一部として専門技術的知識を継続的に再専有していくからである。
『近代では、人びとが前近代の人々に比べ、みずからのローカルな生活的知識を一般の人びとが何らかのかたちで再専有し、それらの知識を日々に活動のなかで決まりきったかたちで充当利用していく、そうした数多くの「フィルター・バック」過程が存在する。』
Ex.ある人が、自分で車のエンジンを整備したり自宅の電気配線をつけかえたりすることは、個々の専門家システムやそれに携わる専門家の知り合いをどの程度まで信頼しているかもまた、同じように決め手となる。このようなことは社会生活全般に関係する。(医療・子育て・性的快楽)
↓しかし
・このような点は、私たちの日々の生活状況に自信を持って統制しているという思いには結局のところ結びついていかない。
・われわれの誰もが専門家システムに対して素人であるが、ジャガーノートを乗りこなしていかなければならない。
・世界の存続に対しての基本的信頼感は、世界が存続するであろうという単純な確信としっかり結びついていかなければならないからであり、また世界の存続は、われわれが完全には確信をもてないことがらであるからでもある。
・ポスト・モダニティ論にたいする反論(P.185〜P.187)結論…ポストモダニティという―主としてポスト構造主義に由来する―概念は通常誤解されている。私は、このポスト・モダニティの概念とポストモダニティ論に代わる私の立場―モダニティの徹底化と名づける立場とを比較対象して示す。
表2参照
前近代的なことがらと近代的なことがら
- 信頼をめぐる四つのローカル化した関係
- 親族システム
- 地域共同体
- 宗教的世界観
- 自然的世界、個人生活、社会生活に関して安心のおける環境となる道徳的、実践的解釈をもたらしていく
- 伝統
- 過去、現在、未来という時間の連続性のなかで信頼感を維持する
- 前近代よりも近代世界のほうが存在論的安心感は強い
- 自然界との関係で本来的に不安定
- 人的暴力の横行
- 農耕国家では、軍事力に直接的基盤を置いていたが、万全ではなかった
- 宗教の及ぼす二重の影響力
- 宗教上の信条や実践は精神的な不安や懸念の元にも本来的になりうる
- 四つのローカル関係は近代ではそれほど重要性をもっていない
- ローカルなことがらとグローバルなことがらの混合
信頼と存在論的安心(心理学が関係する諸問題)
エリクソンの理論
- 信頼(の機能)には二つある
- 幼児が客体の供養者のもたらす同一性と継続的に依拠することを学んでいく信頼
- 自分自身への信頼
- 幼児が学ぶこと
- 介護してくれる人の首尾一貫した行動や思いやりに依拠していくことを学ぶ
- 供養者が幼児自身の行動に信憑性や信頼性が生ずるのを期待していることを学ぶ
- 精神分裂症は供養者とその子との間に基本的信頼が確立されていない場合に生じうる
- 異様な行動、引きこもりは内面的信頼性の欠如が外部世界の非信憑性を反映していく
- 潜在空間(D・W・ウィニコット)は空間的/時間的に介護者が不在の状態に耐えうることの出来る幼児の能力を示している
- 信頼感の心理学的発達過程の確信部分に、時空間の拡大化という問題を再発見することになる
- 他者が信憑性を有しているが、同時に独立した経験をしているという感覚
- 他者にたいする信頼は、絶えず繰り返して生ずる心理学的欲求である
- 存在論的安心と型にはまった行いは、習慣という浸透性の強い影響力を介して本質的に結びついている
- 型にはまった行いへの愛着はつねに両面価値的である
- 基本的信頼の一部を必然的に形づくる喪失感情の表出=心理的緊張の解放
- 基本的信頼の形成の際に学習することがらが、きわめて洗練された実践的意識の方法論があるということを示している
- 上記から信頼の対義語は《危惧》および《苦悩》と考えるほうがよい