『近代とはいかなる時代か―モダニティの帰結―』4章

・抽象的システムと親密な関係性の変容(P.140〜P.142)

『抽象化システムは、前近代的秩序が欠いていた多くの安心感を日々の生活にもたらしてきた。(p.140)』
ex. ロンドンで飛行機にのって、10時間もすればロサンゼルスに到着するが、乗客は場合によればロサンゼルスの地理位置を漠然と知っているだけかもしれない。3、4世紀前は、冒険家であっても、困難にめげず、航海の遂行に必要な技能を身につける必要があった。

近代以前は、日常的な事柄全てを知りえなければ生活できなかったが(あるいは生活しづらかったが)近代以降は、抽象的システムを信頼することによって存在論的安心感を生じさせることになった。

この論点の3つの定理
1.モダニティがグローバル化していく傾向と、日常生活の場での、私のいう《親密な関係性の変容》との間には〈弁証法的ではあるが〉直接的な結びつきが見られるということ
2.親密な関係性の変容は、信頼メカニズムの確立という観点から分析が可能であること
3.対人的信頼関係は、こうした親密な関係性が変容していくなかで、自我の形成が再帰的、自己自覚達成課題となっていく状況と密接に結びついていること

・信頼と対人関係(P.142〜P.149)
『近代以前の状況では、基本的信頼は、共同体や親族関係、友人関係における人格化された信頼関係のなかに組み込まれていた。こうした社会的な結びつきはいずれも情緒面で親密な関係性をともないうるとはいえ、親密な関係性は人格に対する信頼を維持するための条件ではない。』

 インフォーマルな、あるいはインフォーマル化した信義則や道徳上の通念が、信頼感の枠組みを(潜在的なもので、必ずしも現実のものではないが)提供している。

・信頼と人格的アイデンティティ(P.149〜P.155) 抽象的システムの発達にともない、日常生活の組織と形態が、広範囲に及ぶ社会変動と連係して造り直されていく点にある。抽象的システムが組成していく型にはまった行いは、実質のない、道徳性とは無関係な特質をしめしている。

 Ex.たとえば、西洋の日常的な飲食物であるコーヒーはヨーロッパの西欧帝国主義のたどってきた歴史が丸ごと入っているし、ウクライナでの原子炉事故は、遠く離れた私たちの生活にも影響を及ぼす

近代的な性愛関係
前近代→近代への性愛関係の移行の要素
・ロマンティックラブという心的態度(エートス
・ローレンス・ストーンのいう「情緒的個人主義
ロマンティックラブの典型をストーンは次のように言う
『自分が全ての面で一体化できる人間はこの世に一人しか居ない。という観念である〜以下略』

性愛関係は、段階的に進展する相互発見を必然的にともなうが、そうした相互発見の進展では愛情を抱いた人間の側の自己実現の過程は、愛する相手との親密な関係性の増大とおなじくらい重要な経験になっていく。したがって、人格的信頼は、自己探究の過程をとおして確立していかなければならない。自己自身の発見は、モダニティの有する再帰性と直接結びついた達成課題となっていく。
(恋愛を通した自己アンデンティティの追求)

『外部世界は、たんにこの過程(一般の人びとによる専門家知識の受容過程)に入り込んでいるだけではない。それは、近代以前の時代に誰もがおそらく接してきたものに比べ、本質的にはるかに規模が大きく広範囲に及ぶ世界となっている』

世界中の宗教や宗派、精神療法や精神医学といったものを私たちは取り込んでいる!よって、外部世界に対する関心を絶つことというラッシュの見解はいささか間違いである。

以上、親密な関係性の変容の要約
1.モダニティの《グローバル化傾向》と、日常生活における《ローカル化した出来事》との本来的に不可分な関係―「外在的」なものと「内在的」なものとの複雑な弁証法的結びつき。
2.モダニティのもつ再帰性の根本的要素である、《再帰的達成課題》としての自己の構築。つまり、人は、自分のアイデンティティを、抽象的システムが提供する方法と選択肢のなかから見つけ出さなければならない。
3.《基本的信頼》にもとづく自己実現を求める動因《基本的信頼》は、人格化された関係状況のなかで、相手に自分の「心を開くこと」によってのみ確立できる。
4.《相互の自己開示》に導かれた、「関係性」としての人格的および性愛的絆の形成。
5.《自己達成にたいする関心》。自己達成にたいする関心は、個人ではほとんど統制できない外面的な脅威を与える世界にたいする自己愛的防衛だけでなく、ある面で、グローバル化が日常生活に影響を及ぼしている、そうした状況の《積極的な専有利用》でもある。

・近代世界のリスクと危険(P.155〜P.163)
ラッシュのいうような「脅迫的な様相」をどのように分析したらよいのか。
↓それには
モダニティに特徴的なリスクの輪郭について詳細に考察していくことが必要である。
↓モダニティの示すリスクの輪郭
1.《激しさを増した》という意味での《リスクのグローバル化》。たとえば、核戦争は人類の生存を脅かしかねないということ。
2.地球上の全ての人びと、あるいは少なくとも相当数の人びとに影響を及ぼす《偶発的事件の数の増加》という意味での《リスクのグローバル化》。たとえば、地球規模の分業体制に生じている変化
3.《創出環境》、つまり、《社会化された自然環境》に由来するリスク。人間の取得した知識を物質的環境に注入すること
4.多数の人びとのライフ・チャンスに影響を及ぼす《制度化されたリスク環境》の発達。たとえば、投資市場。
5.《リスク》の《リスクとしての認知》。宗教や呪術的知識は、リスクに対する「認識のずれ」を「確信性」に転換させることができない。
6.《広く流布したリスク認知》。われわれがともに直面していく危険性の多くは、一般の人びとにも広く認識されていること。
7.《専門家知識のもつ限界の認知》。いずれの専門家しすてむも、専門家の示す通則を採用した場合の帰結について完全に熟知しているわけではない。
 
・リスクと存在論的安心(P.163〜P.167) 一連のリスクは、一般の人びとが専門家システムにたいしていだく信頼や、存在論的安心感にどのような影響を及ぼしていくのか?
『われわれは、途方もない脅威となり、しかもなお一人ひとりの統制が直接及ばない危険性を、どのようにして絶えず心にとどめておくことができるのであろうか。そんなことはほとんど誰もできないと言うのが答えである』
何故なら…
・日々の生活のもっと身近な実際的な用務を続けていく必要がある
・世俗的な環境では、確率は低いが重大な帰結をもたらすリスクがたわいもない迷信が培ってきた見地というより、前近代的な見地に近い《運命の女神》という意識を、再び新たに生み出す傾向にある。
・適応反応(P.167〜P.171)
4つの、適応反応
1.実利的受容
2.一貫したオプティミズム
3.冷笑的ペシミズム
4.徹底的な社会参加
・モダニティの現象学(P.171〜P.179) 
近代の世界に生きることの実感について社会学では2つのイメージが支配してきた。

1.ウェーバーの官僚的合理性という「鋼鉄のように冷淡な」檻というイメージ
2.マルクスにとってのモダニティ、ハーバーマスにとって「未完のプロジェクト」である。
が!ギデンズはこの2つの視点を否定する。こうしたイメージに代えて、ジャガーノートという超大型長距離トラックというイメージをギデンズは提示する。

ジャガーノートに乗ることは、必ずしもまったく不快なあるいは、おこない甲斐のない経験ではない。多くの場合、気分を爽快にし、前途にたいする明るい希望にあふれている。しかしモダニティ制度が存続する限り、われわれは、この旅のたどる道筋もペースもともに決して完全には統制できないであろう』

《転移と再埋め込み》―疎遠さと親密さとの交錯
《親密な関係性と非人格性》―人格的信頼と非人格的な結びつきとの交錯
《専門家知識と再専有》―抽象的システム人びとが日々得ていく知識との交錯
《私生活中心主義と社会参加》―実利的受容と政治的積極行動主義との交錯


・日常生活における脱熟練化と再熟練化(P.179〜P.185)

専門家知識は、親密な関係性の重要な要素を形づくっている。しかし、このことは抽象的システムが既存の「生活世界」を「植民地化」し、個々人の意思決定を専門技術的知識に従属させることを意味するのではない。

・たとえ、近代制度が根付いていても、基底にあるものは全く以前のものと変わらない。
・一般の行為者が、抽象的システムとの日常的な取引の一部として専門技術的知識を継続的に再専有していくからである。

『近代では、人びとが前近代の人々に比べ、みずからのローカルな生活的知識を一般の人びとが何らかのかたちで再専有し、それらの知識を日々に活動のなかで決まりきったかたちで充当利用していく、そうした数多くの「フィルター・バック」過程が存在する。』
Ex.ある人が、自分で車のエンジンを整備したり自宅の電気配線をつけかえたりすることは、個々の専門家システムやそれに携わる専門家の知り合いをどの程度まで信頼しているかもまた、同じように決め手となる。このようなことは社会生活全般に関係する。(医療・子育て・性的快楽)
↓しかし
・このような点は、私たちの日々の生活状況に自信を持って統制しているという思いには結局のところ結びついていかない。
・われわれの誰もが専門家システムに対して素人であるが、ジャガーノートを乗りこなしていかなければならない。
・世界の存続に対しての基本的信頼感は、世界が存続するであろうという単純な確信としっかり結びついていかなければならないからであり、また世界の存続は、われわれが完全には確信をもてないことがらであるからでもある。

・ポスト・モダニティ論にたいする反論(P.185〜P.187)結論…ポストモダニティという―主としてポスト構造主義に由来する―概念は通常誤解されている。私は、このポスト・モダニティの概念とポストモダニティ論に代わる私の立場―モダニティの徹底化と名づける立場とを比較対象して示す。
表2参照