詳細な検討

  1. 前提のひとつが主権的な主体に対する批判であるのにも関わらず、匿名の革命化しつつある主体によって組みたてられている。だが、一方で知識人は名指しされ、差異づけされている。
  2. ドゥルーズは労働の国際的分業を完全に無視している。(p.5)
  3. 労働者たちの闘争への結びつきは、いとも単純に、欲望のうちに位置づけられている。
    1. このような欲望と主体との接続が問題に値しないものとして扱われるとき、力のある主体=イデオロギー的主体にほとんど等しいものになるのではないか?
    2. この準主体的な母胎は、新しい主体の誕生を告げるものとなる
    3. また、被抑圧者達を、なんの疑問もなしに主体として価値づけてしまう
  4. ドゥルーズは、representer「代弁、代表」と「再現、表象」という二つの意味を混合している
    1. 問題はこの差異が同一的な単語によって示されていることにある

マルクスの「階級」の言明

  1. ある階級についての定義は他のすべての階級からの切断と差異によってあたえられる。ここには「階級的本能」は存在していない。
  2. 経済的な行為ないし利害というものは、体系的かつ異種混合的であるがゆえに、非人格的である。
    1. マルクスは、欲望と利害が一致するような主体を目指しておらず、むしろ脱臼されるようなモデルを目指している
  3. 代表者と担い手ということの違い
    1. 必然的に脱臼してしまった歴史の機械が茶道するのは、「利害の同一性」が「共同感情も、全国的結合も、政治的組織も生み出すことができないでいる」ためだからだ。
    2. マルクスは、否定的なものの作用、具体的な脱物神かの必要性を断固として力説していたにもかかわらず、このことは最強の敵である「歴史的伝統」によって普通の人の手からもぎとられ、空中分解をしてしまう。
  4. 「交通」=「交易」は、余剰価値の生産に導く交換の場所を占有している。そして、階級的な行為へと共同感情が発展すべきであるのは、この「交通」の領域内においてなのである。従って、異種混合的なあり方をしているのである。
  5. 非家族的、人為的、集合的な固有名の不在は、「歴史的伝統」が提供しうる唯一の固有名、乳の名によって埋められる。
    1. そして父の方こそが、実の父の詮索を禁止している
  6. マルクスによれば、資本主義のもとでは、必要労働ならびに余剰価値のなかで生産された価値は、対象化された労働の表象や記号として算定される反対に、労働の表象としての、価値の抽出、領域、実現としての搾取の理論が欠如している場合には、資本主義的搾取は、支配の一様態(権力そのものの力学)と見なされることにならざるをえない。